永遠の子供 <the eternal child>


 

<III>

 

 回廊の先にある工房は、シンプルながらもしっかりした建物だった。平屋で本館に比べれば小さく見えたが、空間の取り方が良いのか、中は思いの外広い。
 前を歩いていた絳河が、振り向いて言った。
「これが、黄の館―――私の工房です」
「ほほう。こちらもなかなか」
 窓から差し込む光が明るく、空調がしっかりしているのか染料独特の匂いもあまりしない。広い廊下が一本、建物の中心に通っており、左右に引き戸が幾つかと、突き当たりに扉があった。
「私の代表作は紅花を使った紅色ですが、黄色も使うし人工の染料も使います。ですから、それぞれの部屋に分けて弟子をそれぞれ付けているのです」
「紅の館と対にして、黄の館なんだね」
「そういえば、娘さんの名前も対になっているんですね。紅と黄で」
 絳河が頷き、小五郎は首を捻る。こっそり平次はコナンに訊いた。
「……紅花から黄色が取れるんか?」
「ああ。黄色色素は水に溶けるから紅色色素よりも先に出来るんだ。ご飯を黄色くしたサフランライス、ってあるだろ。あの色、サフランの代わりに紅花使ったりするし」
「……ほおー」
「着色料にあるベニバナ色素って、黄色いでしょ?お父さん」
「おお、そういえば」
 どのあたりがファンなのか怪しい仕草だが、絳河本人はそれ程気にせず、それぞれの部屋を指し示した。
「各部屋に居る弟子達ですが勿論、それだけを専門とさせるのではなく、折りに応じて他の色にも挑戦させておるんですよ」
「いつかは弟子のどなたかが”紅の業師”の名を継ぐかもしれませんしなあ」
「―――まあ、そのような事もあります。一番手前、人工染料の作業場の責任者は、珠明君」
「―――はい」
 引き戸を開けると、色とりどりの布が広げてあった。道具の片付けをしていた珠明が、名前を呼ばれて振り返る。
「わあ!色がたっくさんで綺麗ね〜」
「彼は一番若いですが、色を組み合わせるセンスはなかなかのモノです」
「本当ですか?有り難うございます!」
「ま、センスだけでは成り立たないがな」
「先生、分かってますって。俺、作業の方も頑張ってますもん」
 不敵な笑みを浮かべる珠明を、絳河は自分の子供を見るように眺めた。
「続いて、紅花の黄色を染める作業場です」
 二番目の戸を引くと、鏡也と剣司が一面の黄色い布の上で作業をしていた。
「鏡也」
「あ……はい」
「彼がここの責任者で、染色の他にも対外交渉などもやってもらってます。どちらかというとそっちの方が才能があるかもしれませんな」
「先生」
 絳河の言葉の端に狼狽したのか、すがるように鏡也が呼んだ。
「―――ああ、いや。勿論君の腕は確かだ。それは私が保証する」
「………」
「うむ、この黄色は渋みがありますなあ」
「……ありがとうございます」
 不穏な空気の気配を、小五郎があっさりと破った。平次がつい突っ込みを入れる。
「分かるんかいなオッサン」
「当たり前だ。なんといっても先生のファンだからな」
 紅花から黄色が取れる事すら知らなかった癖に……とコナンも心の中で突っ込んだ。
「じゃあ、剣司さんは……?一緒に作業してらっしゃいますけど」
 蘭が絳河に訊くと、当人はちらりと目を上げただけで作業にすぐ戻った。
「ああ、あれは私の一番弟子でして、本来は紅色を任せておるんです」
「……で、紅の作業場は……」
「あそこの突き当たりの部屋だよ」
 後ろから珠明の声がした。指さした廊下の果てに、ぴったりと閉まった扉があった。
「でも、夜でないとダメだよ」
「え、どうして?」
 不思議そうに蘭が尋ねる。
「昼だと紫外線が強すぎて。紅花の紅は紫外線で退色しやすいんだ」
「そうなんですか」
「熱にも弱いらしいよ」
「そうだよ。ボウヤ、良く知ってるなあ。……まあ、見てみたいんだったら夜に先生に頼んでみな」
「うん」
 剣司に指示を出していた絳河が部屋から顔を出した。
「珠明、片付けは済んだかね?では先に紅の館へ戻っていてくれ。私は見回りをして、鍵を掛けてから戻る。鏡也、剣司。片付けは私がするから、君達も」
「はい、分かりました」
「済みません。ではお先に」
「私達も戻りますね」
「ああ、そうして下さい。昼には間に合うように戻ると紅莉に伝えてもらえますかな」
「分かりました」
 本館に戻る回廊をぞろぞろと渡るコナン達の後ろで、弟子達が小声で話をしているのが聞くとは無しに聞こえてきた。
「今日の先生……何かおかしくないですか?」
「………」
「鏡也さん、どうかしました?」
「……いや、何でもない」
「剣司さん―――」
「僕も知らない」
「……ふうん」
 目を上げたコナンの視線が、同じく後ろの会話を怪訝そうな顔で聞いていた平次と合った。
「あれ?黄莉ちゃん」
 前を歩いていた蘭が立ち止まる。
 黄莉が、本館側の入り口で座り込んでいた。
「黄莉ちゃん、紅莉さんが探してたよ」
「あかりねえさま、ごはんのしたく」
 下を向きながら答える。つまらなさそうに足を揺らしながら、それでも大人しく待ってたのだろう。
「え、一人で?それは悪いわ……私も手伝う」
「おねえちゃん……」
 顔が跳ね上がった。目を丸くして、蘭を見る。
「押し掛けたんはコッチやからな、俺らも手伝わんと。な?ボウズ」
「……まあね」
「おにいちゃん」
 驚きの表情のままで見る黄莉に、平次はにっこり笑った。
「俺の名前は服部平次、って言うんやで」
「あ、私の名前は毛利蘭よ。黄莉ちゃんも一緒に手伝お?」
「うん!」
 二人を『こなんくんのおともだち』と認めた黄莉は笑顔で立ち上がった。

 

「済みません……お客様に手伝って頂いてしまって。お皿洗いまで」
 しきりに謝る紅莉に蘭は笑顔で答える。
「いいえ、馴れてますから」
「女手ひとつでここを切り盛りすんの、大変そうやな」
「ええ、でも……今日の黄莉、何だか楽しそうで。ありがとうございます」
「そんな、礼言われる筋合いなんて無いって」
「紅莉さん、黄莉ちゃんの事本当に可愛いんですね」
「ええ、勿論です。……黄莉だけが本当の家族のようなものですし」
 浮かんだ柔和な笑みが、直ぐに冷えてゆく。
「………?」
「わたし、これどこにはこべばいいの?」
「それはね、そっちの戸棚」
「はーい」
 狭くはない調理場だが、子供取り混ぜ5人が動くには少々窮屈だった。余り手伝う事の出来ないコナンが小声で愚痴る。
「……にしても5人はいらねえよなあ」
「何か言った?」
「ううん、何も」
「皆でやれば早く終わるし、エエ事ずくめや。よっしゃ、終了ーっと」
 先刻まで昼食を摂っていた食堂に戻ると、小五郎と絳河の二人がコーヒーを飲んでいた。
「お父さん、終わったよ」
「そうか」
「あれ……お弟子さん達は」
「2階の自室に戻ったよ。今日の午後は夕食まで時間があるから部屋に居るようにと言っておいたしな」
「そんな訳で、これから二人でしご……大人の話があるからその辺、散歩でもして来い」
「ええー」
 仕事内容を知りたかったコナンが不満の声を上げる。反対に黄莉は大喜びで扉の前に走り、手招きした。
「こなんくーん。なんのあそび、するー?」
「ほら、妹さんも呼んでるぞ」
「……はーい」
「おねえちゃんとおにいちゃんも、いっしょにあそぼ」
「そうだね」
「よっしゃ、何して遊ぼか?」
 すっかり仲良くなった三人の後を、諦めた様にコナンが続いた。
「先生、私は」
「ああ、紅莉も夕食の支度の時間まで自室で休んでいてくれ。……そうだな、7時から始めたい」
「はい、分かりました」
「毛利さん達もいかがですか。是非ご一緒に酒など」
「ああ、いいですなあー」
 酒、と聞いて大いに反応する小五郎に、蘭は慌てた。
「もう!お父さんがお酒飲んだらどうやって帰るのよ!」
「……」
 もっともだとコナンは頷いていたが、絳河がおお、と手を打つ。
「それでは、この館に泊まっていってはいかがですか」
「あ、でもそこまでお世話になる訳には……」
「……いいえ、是非私からもお願いします。あまりおもてなしは出来ないかもしれませんが、客間はみなさんの数位は用意出来ます」
「は……はあ」
 紅莉の懇願もあり、小五郎は押されて頷いた。
 明日も学校が休みだという事もあり、誰にも異存は無い。平次も今晩は毛利宅に泊まるつもりだった。
「……では、ご厄介になります」
「楽しい夕食になりそうですな」
 絳河は満面の笑みを浮かべた。
「それじゃ、夕御飯もお手伝いしますね」
「……本当にありがとうございます……では、5時半位になったら調理場へいらして頂けますか?」
「わかりました」
 突然電子音が鳴り出し、紅莉は着込んだスーツのポケットから慌ただしく携帯を取り出した。
 黒く輝く二枚貝を開いて、滑らかな動きでボタンを操作する。
「すみません、ちょっと仕事のメールが」
「こんな山奥にも電波入るんかいな」
 平次が自分の携帯を取り出して見るが、やはり圏外だった。
「ええ、普通は圏外ですが時々気まぐれで入るんです。ここに居る時は家の電話を使うんですが、山を下りた時には重宝するので」
「でも不便そうですね」
「そうですね。携帯の電話に掛かってきてもここでは殆ど切れてしまいますし、メールもなかなか届かないんですよ。でも仕事のメールが時折入って来るので手放せないんです」
「ふうん」
 携帯を閉じ、紅莉は絳河に手短に告げる。
「すみません、仕事の電話を掛けに行って参ります」
「ああ」
 蘭は黄莉と手を繋ぐ。そうして見ると同い年の友人だ。
「じゃあ、私達は晩ご飯の支度まで黄莉ちゃんと遊んでますね」
「めいっぱいハラ空かさな」
「そうだね、黄莉……ちゃん」
「うん!」
 おずおずと名前を呼ぶコナンに、黄莉は屈託なく手を差し出した。温かいその手を握る。
 と、反対側から別の手が伸びてきた。冷たく払う。
「何や、手繋がんのか」
「ったり前だろ!」
 スキンシップやのにと平次はさも残念そうに溜息を吐いた。

 

 

 

 


<IV>
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