百合の寝床


 

 

 合い鍵は渡している。
 だから、勝手に入って来るのはまあ仕方が無い。
 それにしても、その挨拶が自然に出てくるのが分からない。
「ただいまー」
「………」
 誰の家だ、という非難を込めて無言で居てもどうやら伝わらなかったようだ。
「はーあ、もう今日は疲れたわー。喰うた気せんかったし」
 やれやれ、と言った顔で平次はテーブルにコンビニの袋をどさりと置いた。
「お前の分も買うてきたんやけど。どうせ喰うてないやろ」
「……まあ、ね」
 手を伸ばし、彼の喰いたそうな方を選ぶ。
「………」
 どうやら当たっていたらしい。その沈黙に少しだけ溜飲を下げた。
「依頼人と会って、美味いモン喰ってきたんだろ?
じゃあ俺がどっち選んだっていいよな」
「それがなあ……」
 平次が残った弁当を取り、隣に座った拍子にふわりと、甘い香りが漂った。
「服部」
「何?」
 弁当のラップを外そうとしていた彼の腕を掴み、鼻を寄せる。
「匂い」
「ん?」
「香水……じゃないようだな」
 頭にも鼻を寄せた。同じ匂いが漂ってくる。
 何処かで嗅いだ覚えのある香りだけれど、思い出せない。
 少なくとも彼がまとうには余り似合わない、甘い香り。
「何か匂うか?自分じゃ分からんわ―――あ」
 平次は不思議な顔で袖の匂いを嗅ぐと、思い当たったらしくこちらを見た。
「何」
「今日な、依頼人と会うって言うたやろ」
「ああ。高級レストランでの食事も込みで、な」
「茶化すなや―――まあ、そのレストランでな、側に花瓶があったんや」
「へえ」
「花瓶には勿論花が生けてあるわな。きっとそれのせいや」
「花って―――生花だよな」
「当たり前や。……大輪の百合が、何本もな」
「―――ああ、だから」
 百合の、匂いが。
「一本でも匂いキツイ百合や、そんだけ沢山あればもう堪らんわ。何喰うても百合の味しかせえへん」
 思い出した様で平次は顔をしかめ、匂いを振り払おうと手で扇いだ。
 漂ってきたその匂いを、軽く吸い込む。
「席替われば良かっただろ」
「それがなあ、俺もそれとなく依頼人に言ったんや。したら、『良い匂いに包まれてお食事を戴けるなんて幸せねえ』 ……ときた」
「そりゃ……ご愁傷様」
 その光景が何となく見えて、更にその本人がぐったりしているのがまた可笑しくて笑ったら睨まれた。
「笑い事やないんやって。まあ、それ以上は俺も言えんかったけどな……もう百合の味しかせえへんさかい、何喰うても”あったかい百合”か”つめたい百合”やで。ようやくそないな食事から解放されて外出た時の空気が美味かったこと」
「……まあなあ」
「もう災難やったわ―――で、普通のメシが喰いたくて買うて来たんや」
「だから、服や髪にまで匂いが移ってたんだな」
「髪までかいな、うわ……喰う前に髪洗うか。……んでシャワー浴びて着替えて……百合はしばらくええわ」
 平次はソファーにうんざりとした様子で寄りかかかり、髪を幾本か摘んだ。
 そんな彼の服の襟元を掴み鼻を寄せる。
 言うほどきつくはない。ゆるやかに伝わる、甘い匂い。
「いいんじゃねえ、この位なら」
「―――は?」
「メシ、冷めるし先に喰ったら」
「ああ……せやなあ」
「飲み物持ってくる」
 立ち上がり部屋を出る背後で、彼は服の匂いを嗅いで怪訝そうに呟いた。
「さっきまで機嫌悪そうやったのに……ホンマ、猫やな」

 

 

 今日の寝床は百合の匂いだ。

 

 

 

 


end.

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