絡繰


 

 

 キッチンから出てくると、新一が不機嫌そうな顔で横を向いていた。
 正確には彼から見て左斜め後ろ、回した右手とは逆の方向。
 背中を掻いているものの、思うようにならないでいるといった雰囲気だ。  
「どしたん」
「痒いんだよ。掻いても掻いても止まんねえし、あー苛つく」
「何やいきなり。さっきまで全然平気そうやったんに」
「さっきまではな。けど一旦気になって、そしたらもう終い」
 言葉を交わしている間も手の動きは止まらない。
 掻いている腕の肘の角度だと背中よりももう少し上、首の後ろのあたりだろうか。
「あんま掻いたら後酷いで」
「もう酷い。しゃあねえだろ、服のタグが刺さってんだから」
「どれ」
 平次は彼の後ろに回り、ネルシャツの襟首を下方に軽く引く。
 どれだけ掻いていたのか、真白い筈の皮膚には一面赤色が広がっていた。
「あーあ、とうに真っ赤っかやで。掻くなやもう」
「んな事言ったって、痒いモンは」
「違う服に着替えればええやん」
「嫌」
「何で」
「寒いから」
「……ほな、冷やすか」
 言って首筋に息を吹きかけた。
 彼の身体が跳ねた。
「何すんだよ!」
「やっぱ、冷えんか」
「ったり前だろ 、――っ!」
 指先でボタンを押すように首の付け根の骨に触れると、彼の身体が一段と跳ねた。
「――冷てーんだよ!」
「そらなあ。俺があっこで何してた思うてんねん」
「洗いモンはお湯出してやればいいだろ!」
「これが、思ったより耐えられてなあ。しかしまあ、よう冷えとるやろ」
「――っ」
 言いながら、広げた掌全部で骨を覆った。
 彼の右手が抵抗するように後ろ手に重なる。払おうとするものの、ひねった腕だけでそんな力が出る体勢ではない。
 空いた左手の指先で彼の首筋を下からなぞった。
 反射的に首をすくめた彼の頭の付け根から、五本の指で地肌に触れた。
 ゆるり、掻き回す。
「冷た……いって、言ってんだろ」
「温いから皮膚も敏感になるんや。ちょっとは冷やした方がええ」
「其処は別に痛くも痒くも――」
 髪を分け入り指を差し入れる度に引き攣れる皮膚。止まる呼吸。無意識に上がるおとがい。瞑った目。
 ぴくりぴくりと彼の目の端が攣るのを背後から見る。
 痛痒感とはまた違う、別の感覚が広がってゆくのが分かる。その証左に、手を引き剥がそうと重なっていた彼の手はようやっと捕まっているだけの状態だ。
 その指の隙間の皮膚に口付けて、そのまま首筋を上へなぞる。
 頭の付け根の骨を軽く食んだ。
「――は」
 開けた口から息が洩れた。
 冷えた手が彼の熱に馴染んでしまう前に――あと少し。
 指を絡める。指で繰る。
 彼の髪を、神経を。
 吊った糸が切れたのか、彼の腕がぱたりと落ちた。

 

 

 

 


end.

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