サイレントサイレン <silent siren>


 

 波のうねりが轟と聞こえる。
 船の影を遠くに探す。
 船を呼ぶ歌を唄う。
 音の波を風が浚い上げ、彼方へと運んでいった。

 

 

 どこまでも。
 どこまでも、遠くへ。
 この歌があの船影を捕らえるまで。

 

 

 もっと唄えと嘲笑が聞こえる。
 もうひとりのわたしが嗤いささめく。
 お前が沈めた船は再び浮かぶ事はないけれど。
 お前が沈めた私は再び浮かぶ事はないけれど、と。

 

 

 知らず揺らぎ崩れて砂を擦る。
 波打ち際で硝子瓶が光った。

 

 

…………<I>…………

 

 夏休み、とはいっても平日の昼過ぎのローカル線はさほど混んでもいなかった。空いているボックス席に二人向かい合わせに座った。
 天井近くに備えられている扇風機は只風を回しているだけで何の役にも立たず、苛ついた平次は早々に窓を開けた。
「かー暑くてたまらんわ……ったく」
「窓開けても変わんないと思うけど」
「少しはマシやろ」
「まあね」
 ぬるりと入ってくる生温い空気の流れ。
 まだ寒暖の感覚が完全には戻ってきていない新一にも、水分を含んだ重さは伝わってくる。半袖の上に薄物をまとっていても大して暑さを感じず、汗も殆どかいてはいないけれど、それでも。
 まとわりつく風を顔に受けながら、何だか居心地が悪い、と新一はふと思った。
「……結構、乗り継いだな」
「これで最後や」
 平次が時刻表から目を上げて言った。
「そっか」
 その視線に合わないようにそっと目を逸らす。
 正面で向かい合っていると視線が逃げられなくなる。しかしだからといって、この空き具合の中並んで座るのも変だ。それは分かっている。
 けれど、何となく。
 少し遠かった。
「流石に移動ばっか、ちゅうのも疲れたな」
「……そうだな」
 疑問形にすれば否定するだろう自分を知っていて、同意を求める言葉を口にする。そのささやかな気遣いが新一のこころにそっと沈んだ。
「駅に着けば迎えが居るんやろ」
「ん。依頼人が迎えに来るってさ」
「せや、その手紙もっぺん見せてや」
「謎解けたら教えろよ」
「解いたら解いたで悔しいくせになあ」
「お互い様だろ。ほら」
「おおきに」
 渡された依頼人の手紙を開きながら、ちらりと平次は新一を盗み見る。表情に比べ顔色は良好だとは言えない。
 疲れているらしいのは確かだ。朝に出発し電車を乗り継いで半日になる。

 

 

 こんな遠出は、彼が『工藤新一』に戻って以来おそらく初めての事だろうから。

 

 

 『江戸川コナン』から解放された彼は、けれど直ぐに全てが元通りとはいかなかった。
 身体は以前の姿を取り戻しても、流れた時までを戻そうとたぐり寄せる事は出来ない。一日二日程度戻っていた頃とは状況がまるで違う。それに馴れる為、元に戻っても暫くの間身を潜めていた位だ。
 平次は協力者として彼の様子をつぶさに知っていたし、出来うる限り知ろうと力添えを惜しまなかった。
 そしてようやく新一が高校生探偵としての活動を再開するまでに回復したのもここ最近の事で、それも専ら安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)が主だった。
 何件か彼の手伝いをしたし、又手伝われた事もあるが、平次の方は学業を疎かに出来ない事もあり、なかなか新一本人と会う機会を余り作れなかった。だからせめて連絡だけはと、大抵は一方的な流れながらも密に取ってはいたけれど。
 そんな嵐の後の、二人に取っては穏やかで良好な日々が続いていた或る日、珍しく新一の方から電話が入った。
(『面白そうな依頼が入ってさ。服部、お前も行かねえ?』)
 試験も終わり夏休みに入ろうという平次に異論は無く、こんな形での小旅行が実現した。
  勿論、依頼の遂行が第一目的だけれど、彼と二人で今遠くへ居る、という今の状況はやはりちょっとした旅行に思えて知らずこころが浮き立っているのに気付いた。
 察しの良い新一に知られる前にと視線をさり気なく手紙に落とす。電車を乗り継ぐ間に幾度か目を通していたけれど。

 

 

 ――瓶に詰めた手紙の夢を見た翌日、同じ物を拾いました。
 おそらく船に沈んだ両親からの手紙が海を渡り届いたのだろうと思います。
 けれど、残念ながらどうしてもこの手紙の意味を読み解く事が出来ません。
 どうか私の代わりにこの謎を解いて下さいませんでしょうか――

 

 

 丁寧に書かれた、けれど統一の取れていない少しアンバランスな筆致を眺める。
「最初にこの依頼人の手紙の意味自体、謎を解かなあかんと違う」
「本人に訊くさ」
「話せる方が先か」
 次いで手紙に同封されていた紙片を平次は手に取った。瓶に詰められていたという紙切れをコピーしたものらしい。
 コピーの跡からして手帳の様な物から破り取られたようだった。

 

 

 朝が訪れ
 昼が過ぎゆき
 夕を迎え
 夜に果つるその場所で

 陽に触れ
 月に触れる彼を臨み
 広げ翳す万緑の傘

 

 

 整えられた文字は手紙の主とは違うようだ。
 それに加え、文章の脇に走り書きがされていた。
 片仮名で綴られていたそれは最初暗号のようにも見えたが、何とか読み取る事が出来た。

 

 

 サヨコ ハヤクワタシタチヲムカエニキテ

 

 

 平次が思わず唸ると向かいから、からかいを含んだ声がした。
「お、もう解けたんだ」
「おお。完璧や……な訳あるか。おもろい……ちゅうかどうも分からんな。こんだけ差し出された所で何も出来んわ」
 肩を竦めひらめかせた手紙を封筒に戻すと新一も同意した。
「確かに、これだけじゃどうしようもない。情報が少なすぎる」
「依頼主は何て言っとるんや」
「まだ聞いてない」
「そら……またえろうのんびりやな」
 普段の彼の手際の良さを思うに珍しく、訊ねるとしょうがないだろ、と新一は返した。
「それ、電話番号無かっただろ。だから手紙で承諾の返事を出したら、向こうから日時指定してきただけの簡潔な案内が届いただけで」
「んなアヤシイ誘いに乗ったんかい」
「面白そうだったし」
「好奇心は猫殺すんやで」
「そんなの今更、だろ」
「……まあなあ。けどそんでもし何かあったら」
 憂いを帯びた口調で問いかけてくる平次の心配も頷ける。
 確かに、独りならば断りの手紙を書いただろう。新一はそう思う。喧噪にはまだ身体が慣れず、他人との接触も距離を測っている段階だ。
 けれど。目の前の彼の快諾に行こうと決めた。
 彼が居れば何が起きても多分平気だ。
「ま、お前も居るし何とかなるだろ」
「俺は便利屋か」
「近い」
「工藤……何や楽しそうに見えるで」
「そうかー? ま、久し振りの遠出だし」
 笑んだ新一の顔にはこれから何が待ち受けているかといった期待も見え隠れしている。これなら多少身体の調子が悪くとも大丈夫そうだ。
 彼の気分転換になれば良い、そう平次は思った。
 たとえ非情で悲惨な事件でさえも、結局の所彼にとってはそれが薬であり、栄養である。
 不謹慎だけれどもそれが事実だと苦笑し、封筒の裏を返した。
 差出人の住所と名前が同じようにアンバランスな筆致で並べてある。バランスが悪いのは筆跡だけではない。住所は普通に書かれているのに名前は片仮名だ。
「これが唯一の、証明される理由か」
「そうなるな」
 依頼人の名を新一がそらんじた。

 

 

「『ヒムカイ サヨコ』」

 

 

 

 


<II>
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