サイレントサイレン <silent siren>


 

<V>

 

 再び剪定を始めた常盤木をしりめに、正面玄関まで戻って来た二人はようやく口を開いた。
「表情読めんかったな、あの爺さん」
「確かに。感情が見えなかった」
「随分と職務に忠実なんやなあ」
「それに……あの松」
「めっちゃ大事にしとるみたいやな」
「お前も気付いた?」
「ったり前や。頭下げてただけやなくて剪定かてえらい丁寧で――おわ」
「あ! ごめん!」
 玄関の扉に手を掛けた矢先、向こうから勢い良く開いて平次は咄嗟に身を翻した。
 開いた扉の内側には面食らった表情の木綿子と、奥に姉と妹が同じような顔で立っていた。
「何や、えらく乱暴やな」
「大丈夫? ごめんね、探してたのよ」
「誰をですか」
「君たち。部屋に行っても居ないから……晩御飯、何がいい? 今から買ってくるの」
「あれ? 準備していたんと違うんか」
「えーと、詳しい説明は後ね。お店閉まる前に麓へ下りなきゃ! 行くわよ」
「え」
 事態の急展開に戸惑っているのは二人だけではなかった。早く早く、とせき立てているのは木綿子だけで、更陽子も戸惑いを隠せず亜麻子は眉間に皺を寄せた。
「木綿子、この人達まで連れていくの」
「どうせだったらお客様の好みも聞きたいじゃない。おまけに車中だったら手っ取り早いし。ついでに」
「ついでに?」
「荷物持ってもらえると助かるな、なんて」
「ちょっと、木綿子――」
「ああ、構いませんよ」
「そんなん任せといてや」
「じゃあ決まりね。悪いけど、一緒行きましょ」
「そうだ常盤木さん、庭で見かけましたが」
 彼を呼ばなくても良いのか、と訊いたが木綿子はええ、と頷いた。
「そうそう、あの松の木のトコでしょう? 玄関にメモ置いてきたから大丈夫」
「えらく信頼してるんやな」
「――そうよ。私達が生まれる前から居るんだもの。それに、こんなとこにただ一人残ってくれたのよ。あ、車出して来るから待っててね」
 言い置いて木綿子が駆け出す。
 車で戻って来るまでも戸惑いの空気が四人の辺りを覆っていた。

 

 

 日暮れの赤い空が一面に渡っている。夜のとばりが降りる頃には店は既に閉まってしまうらしい。
 猛スピードで見通しの良い道路まで出て来て、ようやく新一は口を開いた。
「で、結局料理は」
「――それが」
「作っていたけれど食べられない状態になってしまった、という事ですよね」
「そうよ。木綿子がお鍋を焦がしてしまったの」
「あたしだけのせいじゃないでしょ。姉さんがぼんやりしてるから」
「ぼんやりなんかしていなかったわよ。それに、だからといって邪魔する事は無いでしょう」
「――あの?」
「木綿子は大雑把で、目分量で作ってゆくのよ。本当、荒っぽいったら」
「姉さんこそ手順が悪いのよ。何でも本通りに作ろうとして。あれは一つの例じゃない」
『すみません。りょうりのときはいつもこうなんです』
「普段は――町に降りた時は、誰が作っているのですか?」
 訊くと更陽子は頬を赤くして自分の胸を押さえた。
「……成程な」
「料理は精密に組上がった作品なのよ。だからマニュアルを基に――」
「料理はフィーリングでしょ? 材料同士のぶつかり合いで生まれる未知の味、これね!」
「――と言い争っているうちに焦げた、と」
「……ええ」
「……ごめんね」
「他に食料は無かったのですか」
「――非常食なら」
「そら……笑える冗談やな」
「笑えない」
「工藤―」
 つれない反応に弱い非難の声を上げる。
 いい加減埒があかないと思ったのか、助手席の亜麻子が振り向いた。
「そうね、貴方達にも訊くけど何か希望はあるかしら?」
「せやなあ……ほな、お好み焼きなんてどうやろ」
「まるっきり自分のみの好みだな」
「別にご当地やからっちゅう訳やないで。仕込みは簡単やし焼きながら喰えるし、良い事づくしや」
「まあ、それはそうだけどさ」
 更陽子が拍手する。同意のサインだ。
「でも、ホットプレートなんてあそこには無いわよ」
「鉄板無いんか……したら、まあ雰囲気アレやけどフライパンで焼けば」
「お好み焼きね……簡単過ぎる気もしません?」
「姉さんは簡単な事を複雑にし過ぎるのよ。たまにいいじゃない」
『ひじょうじたいです』
「非常事態――そうね。なら、仕様がないかしら」
「服部、材料挙げていって。メモるから」
「ええで。したら麓までに間に合うな。まずは――ひのふの、六人分やとキャベツは六個でええやろ」
「六個」
 女性陣の驚きの声の中、新一は溜息を吐いた。
「一人あたま一個――って服部、皆が皆お前並の食欲だと思うなよ」
「ほか? まあ余れば他に使えばええやん」
「キャベツばっか余して何に使うんだよ……」
「ともかく、それが本場のレシピなのですね」
「他にも具、色々入れられるし面白そう」
 日が落ち切る前に麓に降りた頃には、全員同意して夕食の買い出しに当たる事になった。
 しかし店の前で二人が車から降りようとすると、亜麻子がそれを押しとどめた。
「私達が買ってきますから、貴方達は更陽子と車に居て下さい」
「荷物持ちで呼ばれたと思ってましたが」
「男連れで買い物したら心証が悪いんですって」
「木綿子」
「探偵ですけれど」
「……同じ事よ」
「だって。ごめんね、ちょっと待ってて。メモもあるしすぐに終わるから」
 済まなさそうに手を合わせる木綿子の後ろで亜麻子は既に店内へと入っていった。
「ああ、もう姉さんってば――」
 二人の後ろ姿を後部座席で眺めていた平次は、ある事に気付いて口から思わず出してしまった。
「――似とる、かも」
 雰囲気が。
「誰と」
「工藤」
「誰が」
「亜麻子サン」
 慎重に言葉を選び話す所とか。冷静に見えて実は感情が豊かで、すぐムキになる所とか。
  そこまでは流石に言わなかったが、新一は扱いに困ったといった顔をした。
「俺はあんな――いや……え?」
 更陽子が新一の服の裾を引いた。口が形をつくる。
『たのしい』
「楽しい?」
 訊くと笑顔で頷いた。再び口が大きく動く。
 読唇術を囓った位でも分かった。
『おまつり、みたいで』
「まあ、皆でガヤガヤっちゅうんは似とるかもな」
「そうだ、明後日神社で祭りがあるって言ってましたね」
 訊くと頷いて、途端に表情を曇らせ首を振った。
『いったことないです』
「一度も?」
 リングノートをめくり、不安そうな表情で書き出す。
『おぼえてないくらい小さいころには』
「したら何で今は行かれへんねん」
『行ったらだめなんです』
「どうして?」
『人を』
 ペンが止まる。
「無理せんでもええで」
 軽く頭を撫でると、一呼吸置いた更陽子が意を決して続けた。
『人をたべる、神さまだから』
「――え」
「鬼子母神……みたいな意味かな?」
 首を振る。知識量の多い更陽子なら伝承の類も知っている筈だ。
「ほな、何で」
『私、半分たべられました』
 見上げた瞳に感情は無かった。
『こんど行ったら、もう半分もたべられます』
「そんな――」
 真意を正そうと口を開いた途端、外から声が飛んで来た。
「ごめんねー! お待たせ」
『――』
 姉の声に更陽子は狼狽し、リングノートを慌てて畳んだ。
「――ああ、終わったんかいな」
「待ってて、あともう一回荷物運ばなきゃなんないから」
「どんだけ買うたんや」
「お前が挙げた分だよ」
 言いながら更陽子の方を見遣った。オレンジ色の表紙が殆ど手に隠れて見えない。
 姉達には絶対に見せられないと言うようにこわばった顔で、硬く硬く押さえ込んでいた。

 

 

 キャベツは二個ほど余り、夕食は少し砕けた雰囲気になった。
「美味しかったね。食べ過ぎちゃった」
「……まあまあ、かしら」
「素直に美味しいって言ったらいいのに」
「何か言ったかしら?」
「なんにも言ってないわよ」
「――そう」
 食後に飲み物で喉を潤す。見渡せば食堂も五人では広い。
 常盤木は先に退出していた。使用人の部屋は離れにあり、普段の食事はそれぞれ別らしい。
 暗い夜道を無事に屋敷まで戻って来られるか心配して玄関口で待っていた彼も、強い誘いを断り切れず巻き込まれた夕食が終わる頃には困惑から満ちた表情に変わっていた。
「こんな広いお屋敷に三人で住んでいたのですか」
「ええ。やはり広すぎますので両親が海に沈んで以来離れましたの」
「食事は誰が作っていたのですか。常盤木さんでは無いですよね」
「ええ。通いのお手伝いを入れていました」
「昔は住み込みの家政婦もいたけど」
「木綿子」
「――それは」
「常盤木さんの娘さんよ。ちせさん」
『千世さん、だそうです』
「更陽子はまだ小さかったもの、覚えてる訳無いって」
 頷く更陽子はけれど、納得しきれていない様子だった。微かに何かの記憶があるのかもしれない。
「その千世さんは今、何処に」
「それは――」
「木綿子」
 硬い声に周囲の雰囲気が緊張を孕んだ。
 反論を許さない、強い調子で続ける。
「食事時にそんな、身内の恥を晒すような話は止めて」
「……探偵さんが訊きたいって言ってるんだもの、話したっていいじゃない」
「私はここでは聞きたくないわ。ここじゃなくても聞きたくない」
「そう。――分かったわ。ごちそうさま」
 そのまま立ち上がり、木綿子は出ていった。
『――!』
「更陽子、洗い物は明日しますから。貴女もお休みなさい」
『……はい』
「ゆっくりと、休むのよ」
『? はい』
「ほんなら、俺らも部屋に戻りますわ」
「服部」
「また明日、やで。工藤」
 平次の言いたい事は分かる。関係者が頑なになれば調査もしずらい。
 雰囲気の悪さを逆手に取って突く事も出来るけれど、今はその時では無いだろう。
「……では、先に戻ります。お休みなさい」
「ええ。お休みなさい」
『おやすみなさい』
「ほな、な」
 応えて平次は軽く手を上げ、もう片手を新一の背中に添えた。
 退出を促すような仕草に新一は分かってる、と口の中で呟いた。

 

 

 

 


<VI>
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